

熱海高原ロープウェイは、1967年(昭和42年)10月1日に開業した観光用ロープウェイで、熱海サボテン公園駅から玄岳山頂駅までの傾斜長2678m、高低差373.95mを4線交走式で結んでいました。このロープウェイの最大の特徴は、121人乗りの大型ゴンドラで、当時世界最大と言われていました。
参考)熱海高原ロープウェイ - Wikipedia
運営会社の熱海高原観光株式会社は「伊豆スカイラインと熱海を十分で結ぶジェットコース」をキャッチフレーズに、山麓に3000種のサボテンを集めた熱海サボテン公園、山頂に玄岳ドライブインを建設し、この二つの拠点をロープウェイで結ぶ一大観光スポットを構想していました。投資額は約13億円という巨額でしたが、この過剰投資が後に経営を圧迫する原因となります。
参考)https://www.8beat.com/ropeway/atami.htm
タイムトンネルは、熱海サボテン公園とロープウェイ山麓駅を結ぶ全長140mの隧道(トンネル)で、非常にユニークな設計が施されていました。トンネル内部から高低差88mのゴンドラ発着所までは、20人乗りの大型エレベーター2基によって結ばれており、観光客がスムーズに移動できるよう工夫されていました。
参考)熱海高原ロープウェイとは - わかりやすく解説 Weblio…
現在、タイムトンネルの坑口は残っており、内部には当時の施設の看板やエレベーター設備の残骸がそのまま残されています。坑口上部には何かが書かれていた痕跡があり、探索者の間では「迎」という文字が確認できると報告されています。このトンネルは完全に封鎖されているわけではなく、廃墟マニアや探索好きの間で知られるスポットとなっています。
参考)埼玉発おとなの小探険(別館) 静岡県熱海市 熱海高原ロープウ…
山麓駅自体や索道を支持する鉄塔、ゴンドラなどはすでに撤去されていますが、タイムトンネルは数少ない遺構の一つとして保存状態が比較的良好です。
開業からわずか3年足らずの1970年(昭和45年)6月、母体であるみその商店が不渡りを出して倒産しました。倒産の原因は、ロープウェイに対する巨額な投資が経営を圧迫したことと、社長の放漫経営による業績の悪化でした。負債総額は13億5000万円に達し、熱海・伊東地区の約200軒の納入業者に影響を及ぼす大規模な倒産となりました。
その後、会社更生法の適用を受け、債権者の手によって1970年7月1日より営業を再開しましたが、同年12月には再び運行を停止。1973年には元従業員と市内債権者の協力により執行部が発足し、玄岳ドライブインとサボテン公園は営業を再開しましたが、ロープウェイ自体は二度と動くことはありませんでした。
参考)第39話 氷ヶ池と熱海高原ロープウェイ|熱海市公式ウェブサイ…
当時の熱海は年間入り込み観光客数が1000万人を突破し、全国第2位の別府の約2倍という「日本一」の温泉観光地として賑わっていましたが、設備投資の規模が大きすぎたことが仇となりました。
伊豆スカイラインの玄岳ICを少し過ぎると、熱海側に薄緑色の巨大な建物が現れます。これが熱海高原ロープウェイの山頂駅舎を兼ねていた玄岳ドライブインで、現在は廃墟として有名なバイクツーリングスポットになっています。
参考)廃墟「玄岳ドライブイン」に特別潜入!静岡県の絶景ロード「伊豆…
バイクでのアクセスは非常に簡単で、伊豆スカイラインを走行中に玄岳駐車場に立ち寄るだけです。駐車場は乗用車1000台、大型バス300台のキャパがあり、営業当時の広大なスペースがそのまま残っているため、バイクは余裕をもって停められます。
参考)【廃墟ツーリング】伊豆スカイライン・玄岳ドライブインの廃墟探…
営業当時、この玄岳ドライブインは床がコンクリート製で、雨でズブ濡れのライダーでも気軽に利用できるドライブインとして、バイク乗りの間で有名でした。2005年に閉業した後も、2025年現在は東京都内の不動産管理会社によって管理されており、サバイバルゲームや音楽イベント、映像撮影に向けた貸出しが行われ、不定期で見学会も開催されています。
熱海市公式サイト「第39話 氷ヶ池と熱海高原ロープウェイ」には、ロープウェイの開業から休止までの詳しい経緯が記載されています
玄岳ドライブインの3階に残された巨大な滑車は、ロープウェイの発着駅だった証として今も鎮座しています。この滑車は直径が非常に大きく、121人乗りという世界最大級のゴンドラを支えていた当時の技術力を物語っています。
参考)廃墟「玄岳ドライブイン」に特別潜入!静岡県の絶景ロード「伊豆…
営業当時は300人収容のレストランがあり、駿河湾方向の景観は素晴らしく、ガラス扉越しに見渡す眺めは絶景でした。現在でも外の展望デッキに出ると、熱海の市街地を一望できる絶景が広がり、多くのバイクツーリング愛好者がこのスポットを訪れています。
伊豆スカイラインは、熱海峠から天城高原までをつなぐ40.6kmの観光道路で、山の尾根に沿って道が造られているため、カーブが多く曲がりくねっていますが、伊豆半島の景色や富士山を望みながら走行できる絶景ロードとして、多くのライダーに愛されています。昭和35年に工事が着工され、昭和39年10月の東京オリンピック開催月に全線開通した歴史ある道路です。
玄岳ドライブインは廃墟でありながら、映画監督の鈴木清順氏が映画「ピストルオペラ」(2001年)の撮影を行うなど、建物の重厚な意匠が建築・アート関係者から高く評価されてきました。バイク乗りにとっては、ただの休憩所ではなく、昭和の観光ブームの栄華と衰退を肌で感じられる特別な場所となっています。
熱海サボテン公園は、JR伊東線来宮・伊豆多賀間のトンネルの真上あたりにあった施設で、2つの大型ドーム温室と2棟の建物から成る熱帯植物園でした。3000種のサボテンを集めた大規模な施設で、植物園から頼朝ラインを挟んだ上ノ山のロープウェイ山麓駅まで、全長140mのタイムトンネルで接続されていました。
ロープウェイ休止後、サボテン公園は数年間営業を続けましたが、最終的に閉園し、現在跡地には大型ホテルが建っています。山麓駅自体は撤去されましたが、タイムトンネルの坑口と内部の一部は現存しており、探索可能な状態です。
タイムトンネルへのアクセスは一般的なルートではなく、サボテン公園跡地周辺から探索する必要があります。坑口前まで下りてくると、トンネル内部には施設の看板やエレベーター設備の残骸が残っており、当時の様子を偲ぶことができます。ただし、私有地や危険箇所も含まれるため、探索には十分な注意が必要です。
参考)静岡県熱海市 熱海高原ロープウェイの痕跡探し・第1次探索(そ…
山頂の玄岳駅近くにあった氷ヶ池は「高原の湖」として整備され、ヤギの牧場や遊覧ボートなどの施設が作られ、東洋のナポリと言われた当時の熱海を象徴する一大リゾートが形成されていました。
伊豆スカイラインは南から北へ走った方が見所を楽しみやすいとされており、天城高原ICから入り北上するルートがおすすめです。道沿いには玄岳ドライブイン以外にも多くの見どころがあり、バイク乗りにとって魅力的な観光道路となっています。
伊豆スカイラインの工事は、標高500mから700mの高所に建設する上、関東ロームというぬかるみやすく崩れやすい土壌だったため、相当な苦労があったとされています。それでも4年後の昭和39年10月に41.5kmの道路を完成させ、全線開通時には連日多くの観光客が訪れ、多い日には1万9000台以上の車が走るほど人気の観光地になりました。伊豆スカイラインの歌まで作られ、観光バスのバスガイドが歌って盛り上げるのが定番だったといいます。
現在の熱海には、アタミロープウェイという別のロープウェイが営業しており、山麓駅より徒歩1分の「熱海ベイリゾート後楽園」の駐車場が2時間まで無料で利用できます。こちらは現役の観光施設として、熱海の海岸線を一望できる人気スポットとなっています。
参考)交通案内|アタミロープウェイ
バイクで伊豆スカイラインを訪れる際は、熱海新道経由のルートも選択肢の一つです。熱海新道は日中でも交通量が少なく走りやすい道として知られており、熱海自然郷の別荘地を経由して合流することができます。
参考)絶景の玄岳周辺散策と東浦路・網代峠 - 伊豆の中年チャリダー
玄岳ドライブイン周辺は、Instagram等のSNSでも「#廃墟」「#バイク好きと繋がりたい」などのハッシュタグとともに多くの写真が投稿されており、バイク乗りの間で人気の撮影スポットとなっています。廃墟の風景が好きなライダーにとって、玄岳ドライブインは外せないツーリングスポットです。
参考)https://x.com/kurotakedrivein
索道インデックス「熱海高原ロープウェイ」では、ロープウェイの詳細な路線データや当時の乗車券の写真が掲載されており、ロープウェイファンにとって貴重な資料となっています