

バイクレースを本気で好きだと思っていたのに、実は4歳から「しぶしぶ」始めさせられていたと知ったら、応援の仕方が変わるかもしれません。
鈴木竜生(すずき たつき)は1997年9月24日、千葉県生まれの元Moto3ライダーです。2015年にMotoGP世界選手権のMoto3クラスへフル参戦を開始し、2024年まで足かけ10年間・153戦を戦い続けました。その戦績は、3勝・表彰台8回・ポールポジション(PP)7回・総獲得ポイント630という、日本人ライダーとして際立った記録です。
最初の2年間(2015〜2016年)は、インド系マシン「マヒンドラ」でポイント圏内をなんとか争う状況が続きました。しかし2017年、転機が訪れます。故マルコ・シモンチェリの父パオロ・シモンチェリが率いる「SIC58 Squadra Corse」への移籍です。これが竜生のキャリアを大きく変えました。
| 年 | チーム | マシン | 年間順位 | 主な成績 |
|---|---|---|---|---|
| 2015〜2016 | CIP / Unicom Starker | マヒンドラ | 27〜28位 | ポイント獲得数回 |
| 2017〜2021 | SIC58 Squadra Corse | ホンダ | 最高8位(2019) | 初優勝(2019サンマリノGP) |
| 2022〜2023 | Leopard Racing | ホンダ | 最高7位(2022) | 3勝目(2023アルゼンチンGP) |
| 2024 | Liqui Moly Husqvarna Intact GP | ハスクバーナ | 14位 | 表彰台なし・91pts |
つまり、中盤3チームの経験が最大の成長期だったということですね。2019年サンマリノGPでのMoto3初優勝は、所属チームの地元ミザノ・サーキットでのPPからの完勝であり、チームファンにとっても感動的な場面でした。2020年アンダルシアGPでは2勝目、さらに2023年アルゼンチンGPでは実に50戦ぶりの3勝目を飾っています。
チームの地元・ミザノで掴んだ初優勝の詳細については、当時の竜生本人のコメントがこちらに掲載されています。
チームの地元でGP初優勝 "和製イタリア人"が語る! 鈴木竜生の初優勝インタビュー(Mr.Bike)
2025年2月8日、竜生は自身のYouTubeチャンネルに動画を投稿し、約20年間に及ぶバイクレースキャリアへの終止符を発表しました。注目すべき点は、彼が発表した言語がイタリア語だったことです。長年イタリアで生活してきた竜生にとって、イタリア語で語ることは極めて自然なことでした。
実はこの引退は、2024年12月の段階ですでに現実味を帯びていました。竜生が2024年まで在籍していた「Liqui Moly Husqvarna Intact GP」チームが、2025年シーズンに向けてレッドブル・ルーキーズカップ出身の若手選手の起用を検討していることが判明したためです。世界GP参戦においてはチームシートを確保することが絶対条件であり、そのシートを得られなかった時点で参戦継続の道は狭まりました。
竜生は引退理由についてインタビューでこう明かしています。「スーパースポーツ600への参戦も考えたが、スポンサーなしで参戦できるカテゴリーを見つけることは難しい。金銭的な問題が大きい。持ち出しが絶対に無理というわけではないが、そうするのは自分を偽っているような感じがした」と。厳しいですね。
世界GP参戦にかかる費用は年間で数千万円規模とも言われており、個人スポンサーだけでカバーするのは現実的ではありません。勝てるマシン・チームでなければ、本来の目標である「世界チャンピオン」には手が届かないという判断が、引退の底流にありました。
竜生の引退発表前後の経緯をさらに詳しく知りたい方には、こちらの記事が参考になります。
鈴木竜生:もう本当に二輪レースには出ないの?(ITATWAGP)
世界GPで10年間戦い続けた竜生ですが、バイクを始めたきっかけは本人の意志ではありませんでした。これは意外ですね。
竜生は2025年2月のインタビューでこう語っています。「4歳の時に始めたんだけど、しぶしぶという感じ。父親が若い頃にバイクレーサーになりたかったんだが、祖父母が共働きで忙しく、そのチャンスがなかった。それで最初の子供が男の子だと分かった時、大きくなったらバイクをやらせようと決めていた」と。
父の夢を引き継ぐ形で始まったバイクキャリアでしたが、実際に竜生を毎日育てたのは母親でした。放課後の午後3時から7時まで、近所のミニモトサーキットへ2年間休みなしで連れて行き続けたのです。同級生が野球やサッカー、ゲームセンターを楽しんでいる中、竜生だけは毎日バンで迎えにきてもらいサーキットへ向かいました。
結論は「才能ではなく、反復練習と環境が土台を作った」ということです。竜生自身も「才能があったから速くなったわけではなく、母のおかげで他の子より早く覚えられただけ」と振り返っています。
バイクに本格的に取り組ませたい子供を持つ親御さんや、自分もバイクキャリアを追いたいと考えているライダーにとって、この話は「日常的な反復と専用環境こそが世界を目指す基礎になる」という示唆を与えてくれます。国内でも、ミニモトや青少年向けのバイクスクールは存在しており、早期から正しいフォームと走り方を身につける場として機能しています。
Honda公式 鈴木竜生プロフィール(SIC58 Squadra Corse時代)
引退後の竜生が選んだ新しい職場は、日本のバイクメーカーでも国内チームでもありませんでした。イタリアのサスペンションメーカー「Andreani Group(アンドレアニ グループ、旧WP Italia)」の技術スタッフです。2025年3月6日に本人がSNSでこの就職を公表しました。
これは使えそうです。Moto3で世界トップクラスのサスペンションセッティングを経験してきたライダーが、今度は設定する側・サポートする側に立つという転身です。
2025年4月のミザノ・サーキットで行われたイタリア選手権(CIV)ラウンドでは、「CIV Production Bike」クラスのダヴィデ・スティルペと、「CIV Moto3」クラスの若手選手ヤコポ・ヴィッラーニの2名を担当。技術面・メカニック面・整備サポートを担い、ライダーが速く走れるよう後方から支える仕事に取り組んでいます。
竜生はこの新生活についてこう語っています。「すごく良い感じ。ちょっと変な感じはするけど、ずっとこの反対側の世界を覗いてみたかった。特にサスペンションは、速く走るための基本。プッシュする時にエンジンが重要なのはもちろんだけど、サスのフィーリングがいまいちだと好リザルトを出すのは難しい」と。
🔧 バイクのサスペンションセッティングについて知識を深めたい方へ:ライダー目線でのサスペンション調整の基礎知識は、YouTubeなどにも解説動画が多く公開されています。竜生のような経験を持つプロが語る視点は、実際に自分のバイクを整備・セッティングする際にも大いに参考になります。
鈴木竜生:引退後、具体的にどんな仕事をしてるの?(ITATWAGP)
竜生のキャリアを振り返ると、バイク好きのファンとして「なぜもっと上のクラスに上がれなかったのか」という疑問を持つ方もいるかもしれません。Moto3で3勝・表彰台8回・PP7回という実績はあるのに、Moto2昇格が実現しなかった。この一点は、日本人ライダーが世界GPで直面する現実を象徴しています。
まず、世界GPにおけるシート確保はライダーの実力だけで決まりません。スポンサーフィーや資金の調達力、チームとの交渉力、さらにはマネジメント体制など、「バイクの外側の能力」が大きく影響します。竜生自身も「金銭的な問題が引退を後押しした」と正直に語っており、これはキャリアの終わりを迎えるライダーに共通する課題です。
次に、Moto3での成功がそのままMoto2へのシート獲得につながらないという現実があります。Moto2は参加台数も限られており、有力スポンサーを抱えたチームが若い欧州ライダーを優先するケースも多いです。これが基本です。
日本人ライダーが世界GPで長く活躍し続けるためには、実力に加えて多言語コミュニケーション力やビジネス感覚が求められます。竜生はイタリア語を含む多言語を操り、SIC58では「和製イタリア人」と呼ばれるほどイタリア文化に溶け込みました。この柔軟な適応力こそが、10年間にわたって世界GPで戦い続けられた背景にあると考えられます。
さらに、引退後に技術者として即座に新しいキャリアをスタートさせた点も注目に値します。ライダーとしての経験値をそのまま技術・サポート職に転換できるのは、Moto3の最前線でサスペンションセッティングと向き合い続けた証です。一般のバイクライダーにとっても、自分が乗るバイクのサスペンションや整備に深く関わることが「バイクライフをより豊かにする」という点で、共通するメッセージがあります。
竜生のキャリアは「続けること」だけが成功ではなく、引き際を見極め、次のステージで経験を活かすことも立派なバイク人生だということを教えてくれます。
鈴木竜生、レース引退を発表。Moto3では通算3勝含む表彰台8回、PP7回を記録(Motorsport.com)