

44歳の中須賀克行が乗るヤマハYZF-R1は、なんとベースマシンが10年前の設計で、最新鋭の対抗マシンに毎年勝ち続けている。
「そろそろ引退するのでは?」と思っているバイクファンは少なくないだろう。しかし現実はまったく逆だ。
2025年10月、中須賀克行は全日本ロードレース選手権JSB1000クラスで通算13度目のチャンピオンを獲得した。2026年1月のインタビューでは「2026年も1戦1戦を勝つスタイルを貫く」と語り、引退の意思は微塵も見せていない。さらにヤマハ発動機は2026年2月10日付けで、中須賀克行をYAMAHA FACTORY RACING TEAMの正式ライダーとして発表している。つまり、2026年シーズンも最高峰クラスで戦う態勢は完全に整っている。
年齢を考えると「44歳でいつまで続けるのか」という疑問が湧くのも自然だ。しかし、彼自身はこう語っている。「ヤマハが契約してくれたら、これまで以上に進化した中須賀を見せられるように準備したい。与えられた環境でしっかりやるというのが自分のスタイル」と。これは引退宣言どころか、むしろ「まだ進化できる」という明確な意思表示だ。
ライダーは1年ごとの契約が基本というのが、このカテゴリーの鉄則だ。毎年評価をクリアしなければ翌年のシートはない。言い換えれば、ヤマハが2026年もファクトリー体制で中須賀を起用したということは、チームが正式に「まだ勝てる」と判断したことを意味する。ファン目線で見ても、引退を心配するより「いつまで勝ち続けるのか」に注目したほうが楽しめる。
結論は「2026年現役継続」です。
ヤマハ発動機公式:2026年モータースポーツ活動 主要チーム体制発表(2026年2月10日)
全日本ロードレース選手権史上、チャンピオン回数が2桁に乗ったライダーは中須賀克行ただ一人だ。
2025年シーズンは10レース中5勝を挙げ、最終戦を前の第6戦岡山国際でタイトルを確定させた。決勝では2番手以降に13秒以上のギャップを作って独走優勝という圧巻の内容だった。この勝利が通算94勝目にあたり、歴代全日本最多勝利記録は現在も更新中だ。100勝まであと6勝という位置にいる。
チャンピオン回数を時系列で整理すると、2008年・2009年と初期2連覇、2012〜2016年の5連覇、2018年・2019年、2021〜2023年の3連覇、そして2025年と、計13回。2024年は若手の岡本裕生(当時21歳)に王座を譲ったが、翌年に奪還している。岡本裕生との年齢差は23歳。これは父親と息子ほどの開きがあり、一つの世代をまるごと超えた戦いを毎年続けているわけだ。
意外なのが、2022年のシーズンだ。この年は全戦優勝という完全制覇を達成している。ちなみにプロ野球球団の143試合全勝に相当するレベルの独走ぶりだったと言えば、その異常さが伝わるだろう。つまり「強さの頂点」は40歳を超えてからも続いているということだ。
通算100勝が条件です。今後のシーズンで確実に達成できる数字にいる。
全日本ロードレース公式サイト:中須賀克行選手プロフィールと戦績一覧
バイクファンなら気になるはずだ。なぜ10年前設計のマシンで勝てるのか?
2025年シーズンの中須賀克行のマシンは、ヤマハYZF-R1をベースとしたファクトリー仕様だ。このR1のレース用ベース設計は2015年から数えて10年目を迎えていた。対する相手は、DucatiパニガーレV4R、BMWのM1000RR、Honda CBR1000RR-Rと、いずれも最新世代のマシンだ。特にBMW勢はエンジンの立ち上がり加速が際立っており、中須賀自身も「開幕戦から厳しい戦いになると覚悟していた」と語っている。
それでも13回目のタイトルを取れた理由を、中須賀はこう分析している。「ライバルに対抗できたのはチーム力だと思う。今まで培ってきたデータを、いかに精査してコンディションに合わせていくか。そこに総合力で勝っている」と。ヤマハに加入した2006年から約20年、スタッフはほぼ変わっていない。同じメンバーと積み上げてきたセッティングデータと相互理解が、最新マシンとの性能差を埋める力になっている。
バイクに乗る人なら感覚的にわかると思うが、機械のポテンシャルより乗り手とマシンのマッチングのほうが、実際のタイムに大きく影響することがある。中須賀の場合はそれが最高峰のレースで証明されている形だ。個人でバイクを長く乗り続けるほど「自分のバイクへの理解が深まる」という経験は、ライダーなら誰しも持っているはず。その延長線上に中須賀の強さがある、と考えると少し身近に感じられる。
チーム力が条件です。
ライダースクラブ:中須賀克行の通算JSB100勝へのカウントダウン(詳細分析記事)
「なぜまだ走り続けるのか」という問いに、中須賀が答えたコメントがある。
「昔は勝てたことが嬉しかった。今は皆が喜んでくれる。それが嬉しくて、皆の笑顔が見たくて頑張る気持ちが、ここ2〜3年はより強くなっています」というものだ。これは単なるキレイごとではない。2025年のシーズン中、定年退職した長年のファンから「あなたの走りが自分の支えだった」と伝えられ号泣された、というエピソードがある。こうした積み重ねが、彼にとってのモチベーションの核になっている。
もう一つの現実的な理由が「1年契約」という制度だ。全日本のファクトリーライダーは年ごとの契約更新が基本で、成績次第では翌年のシートがなくなる。「ライダーは1年契約なので、評価してもらわないと来年はない。1年1年を大事に挑んできたことの積み重ねが、強さと言えば強さなのかもしれない」と中須賀は言う。これは毎年「今年が最後かもしれない」という緊張感のもとで走り続けているということだ。引退を「決めない」のではなく、常に次の1年をかけて戦っている、ということになる。
ファンの立場から見れば、彼が走り続けることの価値はレース結果だけではない。バレンティーノ・ロッシが42歳で引退を決意した際、中須賀は「引退を発表した42歳のバレンティーノ・ロッシについて…」と言及したとされており、世界の巨人と自分を重ねながらも、まだ走り続けている。これは注目に値する。
「皆の笑顔」が原則です。
輝かしい記録の裏に、バイクファンが知っておくべき過酷な現実もある。
2025年の鈴鹿8時間耐久レース本番直前のプライベートテストで、中須賀克行は転倒し、あばら骨にひびが入り背骨の11番を圧迫するケガを負った。しかし彼は「走れたので、欠場は考えなかった」と語り、MotoGPライダーのジャック・ミラー、WorldSBKのアンドレア・ロカテッリとともにそのまま8耐を走り切った。結果は2位という高い結果を残している。
骨にひびが入った状態で8時間耐久レースに出るとはどういうことか。一般ライダーの感覚で言えば、骨折したまま峠を走るようなものだ。それを「表には出さず走ろうと決めた」と明かすコメントは、プロライダーの凄まじさを伝えると同時に、長期にわたる現役生活での身体への蓄積という現実も見せている。
こうした身体的負担の蓄積を考えると、「引退のタイミング」はパフォーマンス面より健康面から訪れる可能性が高い。ただし現時点では44歳でも最高峰のタイトルを勝ち取れているわけで、まだその時期ではないというのが状況的な判断だ。厳しいところですね。
バイクに乗る自分たちも参考にすべきことがある。転倒リスクとの向き合い方、身体のケアと継続、そのバランスをプロライダーが体現している姿は、レースに限らず日常のライディングへの向き合い方にも通じるものがある。長く安全にバイクを楽しむためには、定期的なバイクの整備と同様に、自分の身体のコンディション管理も欠かせない。プロテクターや適切なライディングギアの着用は、こうした万が一の衝撃を軽減する基本的な手段でもある。
骨折を抱えても走り切ったという事実が、引退論の「まだ早い」に説得力を与えている。
WEB Mr.Bike:中須賀克行インタビュー「皆の笑顔が見たくて」(2026年1月掲載・詳細インタビュー全文)
仮にいつか引退の日が来たとしても、中須賀克行が残した記録は全日本ロードレース史に刻まれ続ける。
まず「13度のJSB1000チャンピオン」という数字は、2位以下に大差をつけて単独トップの記録だ。過去にチャンピオンを複数回獲得したライダーはいるが、10回以上は中須賀以外に存在しない。また「44歳でのチャンピオン」は非公式ながら最年長記録とされており、全日本における年齢とパフォーマンスの常識を塗り替えた。
鈴鹿8時間耐久では2015年から4連覇を達成し、それまで最多だったアーロン・スライトの3連覇記録を更新した。世界GPでも2012年のバレンシアGPでスポット参戦ながら2位を獲得しており、国内だけでなく国際レベルでもその存在感を示している。
通算勝利数の100勝到達も、このままのペースで参戦を続ければ近い将来に達成される見込みだ。2025年シーズン終了時点で94勝。1シーズンで平均5勝前後のペースで積み上げてきているため、2026年か遅くとも2027年には歴史的な大台に乗る計算になる。
これらの記録は単なる数字ではない。10代からポケットバイクに親しみ、地元九州でレースを始め、25歳という決して早くはないタイミングでヤマハのファクトリー体制に入り、それから20年近くにわたって最高峰クラスの頂点に立ち続けた1人のライダーの軌跡だ。
バイクを愛する者として、これほどの存在が同時代に走っていることは、それ自体が価値のある体験だと言える。そしてまだ、その物語は終わっていない。
ヤマハ発動機公式:中須賀克行選手13回目のJSB1000チャンピオン獲得リリース(2025年10月)