パリ・モスクワ・北京・ラリー1万6000キロの伝説

パリ・モスクワ・北京・ラリー1万6000キロの伝説

パリ・モスクワ・北京ラリーの全貌

この記事の3つのポイント
🏁
史上最大規模のラリー

1992年開催、27日間で1万6000kmを走破し11カ国を横断した伝説のイベント

🏍️
バイク部門の過酷さ

二輪15台がエントリーし、砂漠や山脈などの障害に挑戦

🌍
再現不可能な規模

現在の国際情勢では開催できない、ユーラシア大陸横断の唯一無二のルート

バイクで参戦しても完走率は20%以下です。


パリ・モスクワ・北京ラリーの基本情報


1992年9月1日から27日にかけて開催されたパリ・モスクワ・北京ラリーは、モータースポーツ史上最大規模のラリーレイド大会として知られています。フランスのパリをスタート地点とし、ロシアのモスクワを経由して中華人民共和国の北京に到着するまで、ユーラシア大陸約16,000kmを横断しました。


参考)1992年のパリ-モスクワ-北京ラリー - Wikipedi…


このラリーには19カ国から161台がエントリーし、実際に出走したのは153台でした。内訳は四輪部門93台、トラック部門25台、そして二輪部門には15台のバイクが参戦しています。通過した国は「フランス→ベルギー→ドイツ→ポーランド→ベラルーシ→ロシア→カザフスタン→トルクメニスタン→ウズベキスタン→キルギスタン→中国」の11カ国に及びました。


参考)パリ-モスクワ-北京ラリーというとんでもないラリーを知ってい…


つまり二大陸を横断したということですね。


パリからモスクワまでの前半区間は主に移動区間でしたが、モスクワ以降からはタイムレース区間が開始され、砂漠、水路、ステップ、山脈など地球が産んだ様々な障害がそのままスペシャルステージとなりました。27日間という長期間にわたる過酷なレースは、パリ・ダカールラリーをも凌ぐ規模として語り継がれています。


パリ・モスクワ・北京ラリーのバイク部門の実態

バイク部門には15台がエントリーしましたが、二輪でこの過酷なラリーを完走することは四輪以上に困難を極めました。バイクライダーは四輪車両と異なり、エアコンもなく、砂埃や極端な気温変化に直接さらされながら走行を続ける必要があります。


1日の走行距離は平均で約600km、長い日には700km以上を走破することもあり、体力と精神力の消耗は想像を絶するものでした。砂漠地帯では細かい砂がエンジンに侵入してトラブルを引き起こし、山岳地帯では酸素が薄い中での走行を強いられます。


参考)北京パリモーターチャレンジについて|人生を走るモータースポー…


厳しいですね。


バイクはトラブル時の修理も自分自身で行う必要があり、四輪のようにサポートクルーが常に同行できるわけではありません。燃料補給ポイントまでの距離計算を誤れば砂漠の真ん中で立ち往生する危険もあり、実際に燃料系統のトラブルで何台ものバイクがリタイアしています。完走するためには高度なメカニックスキルと冷静な判断力が求められました。


参考)バイク:「命がけのレース」世界ラリーレイド選手権、藤原慎也が…


パリ・モスクワ・北京ラリーの日本人ライダー

日本からもこの伝説のラリーに挑戦したライダーや車両がありました。特に注目を集めたのは、スバルのヴィヴィオRX-Rでの参戦です。軽自動車という小型車両でユーラシア大陸横断に挑むという、まさに日本の技術力を証明する挑戦でした。

浅賀敏則氏は1982年にパリ・ダカールラリーの二輪部門で初参戦し、18回出場した実績を持つベテランライダーです。パリ・モスクワ・北京ラリーも含め、ラリーレイドの競技では四輪部門で5回クラス優勝、8度の準優勝を成し遂げています。

参考)
https://www.nirin.co.jp/_ct/17449421


これは使えそうです。


日本のメーカーも技術力をアピールする絶好の機会として、このラリーに力を注ぎました。三菱のアーウィン・ウェーバーが2位に入賞するなど、日本勢は健闘を見せています。過酷な環境下でも耐久性を発揮した日本車の性能は、世界中から高い評価を受けました。


参考)パリ-モスクワ-北京ラリーというとんでもないラリーを知ってい…


パリ・モスクワ・北京ラリーの歴史的背景

このラリーの原型は、1907年に開催された「北京-パリ モーターチャレンジ」にまで遡ります。北京をスタートしてパリでゴールする過酷なラリーで、距離は1万6000km、2カ月間に渡って開催されました。当時は自動車技術も未熟で、道路インフラも整備されていない時代に、このような冒険的なイベントが実現したこと自体が驚きです。


参考)https://news.livedoor.com/article/detail/27234264


1992年の大会は、この歴史的なルートを逆向きに辿る形で企画されました。10年間の準備期間を経て、ようやく実現にこぎつけたイベントです。ソ連崩壊後の混乱期であり、中央アジア諸国を横断する許可を得ることは政治的にも非常に困難でした。


1992年が特別だったということですね。


現在では国際情勢や各国の規制により、このルートでのラリー開催は事実上不可能になっています。ロシアとウクライナの関係悪化、中央アジアの政情不安定さなどが理由です。そのため、1992年と1995年に開催されたパリ・モスクワ・北京ラリーは、真の意味で「伝説」として語り継がれています。


パリ・モスクワ・北京ラリーの完走の難しさ

ラリーレイドの完走率は一般的に50%前後とされていますが、パリ・モスクワ・北京ラリーのような超長距離イベントではさらに低下します。特にバイク部門では、機械的トラブル、体調不良、事故などで多くのライダーがリタイアを余儀なくされました。


27日間という長期間にわたり、毎日高い集中力を維持することは極めて困難です。睡眠不足や疲労の蓄積により、判断ミスが発生しやすくなります。実際、移動区間であるリエゾンでの事故が多いことが知られており、「リエゾンで怪我をすることが多い」とベテランライダーたちは口を揃えて警告しています。


リエゾンこそ注意が必要です。


バイクの場合、四輪と異なり転倒時のダメージが直接身体に及ぶため、一度の事故が致命的になることもあります。また、広大な砂漠地帯では他の参加者との距離が数十キロ離れることもあり、トラブル時に助けを求めることすら難しい状況に陥ります。GPSや通信機器が現在ほど発達していなかった1992年当時は、ナビゲーションミスで迷子になるリスクも高かったのです。


パリ・モスクワ・北京ラリーの装備と準備

このラリーに挑むバイクライダーには、通常のラリーレイド以上の装備と準備が必要でした。まず、バイク本体の耐久性強化として、サスペンション、エンジン冷却系、燃料タンクの大容量化などが施されます。予備パーツも可能な限り携行しなければなりません。


ライダー自身の装備も重要です。長時間の走行に耐えるヘルメット、プロテクター付きウェア、グローブ、ブーツは必須です。砂漠地帯では日中40度を超える高温、夜間は氷点下になることもあるため、体温調整できるウェアが不可欠でした。


温度差が激しいということです。


また、水分補給システムも重要で、脱水症状を防ぐためにハイドレーションシステムを装着するライダーが多くいました。食料も長期保存できるエネルギーバーやドライフルーツなどを携行します。万が一のトラブルに備えて、GPSコンパス、予備燃料、応急修理キット、衛星電話なども必要でした。こうした装備の総重量は相当なもので、バイクの操縦性に影響を及ぼすこともありました。


パリ・モスクワ・北京ラリーの詳細な記録が掲載されています(WEB CARTOP)

パリ・モスクワ・北京ラリーと現代のラリーレイド

現代のラリーレイドは、パリ・モスクワ・北京ラリーのような超長距離・多国間横断型から、より安全性と管理が重視された形式へと変化しています。現在のダカールラリーは南米やサウジアラビアで開催され、期間は2週間程度に短縮されています。


しかし、過酷さという点では現代のラリーレイドも決して劣りません。世界ラリーレイド選手権の完走率は約50%とされており、依然として非常に困難な競技であることに変わりはありません。技術の進歩により車両の信頼性は向上しましたが、コース設定がより技術的になり、ナビゲーションスキルの重要性が増しています。


半数がリタイアするということですね。


バイク愛好家にとって、ラリーレイドへの参戦は究極の挑戦です。もし興味があるなら、まずは国内のエンデューロレースやラリーイベントに参加して経験を積むことをおすすめします。一般社団法人日本モーターサイクルスポーツ協会(MFJ)が主催する各種競技に参加すれば、基礎的なスキルとライセンスを取得できます。


長距離走行に必要な体力づくりも重要です。ランニングや筋力トレーニングで基礎体力を向上させ、特に体幹の強化に注力しましょう。バイク操縦時のバランス維持や長時間のライディング姿勢の保持に役立ちます。


パリ・モスクワ・北京ラリーから学ぶバイクライディング

パリ・モスクワ・北京ラリーの参加者たちから学べる教訓は、現代のバイク乗りにとっても有益です。第一に、機械への理解と日常メンテナンスの重要性があります。ラリーライダーたちは自分のバイクを完全に理解しており、異音や振動の変化から故障の兆候を察知できました。


第二に、リスク管理能力です。天候、路面状況、自身の疲労度などを総合的に判断し、無理をしないという選択も時には必要です。完走率が低い理由の一つは、無理な走行で事故やトラブルを招くケースが多いからです。


無理は禁物です。


第三に、仲間との協力関係です。ラリーレイドでは競技者同士が助け合う文化があり、トラブルに遭遇したライダーに対して燃料や工具を分け合うことが珍しくありません。こうした精神は、日常のツーリングでも大切にしたい価値観です。


普段のツーリングでも、長距離走行前には必ずタイヤ空気圧、ブレーキ、チェーンの張りなどを点検しましょう。また、予備の燃料携行缶やパンク修理キット、基本工具セットを携帯する習慣をつければ、万が一のトラブル時にも対応できます。


パリ・モスクワ・北京ラリーの記録映像と資料

パリ・モスクワ・北京ラリーの貴重な記録映像は、YouTubeなどの動画プラットフォームで視聴できます。スバル・ヴィヴィオRX-Rによる挑戦を記録したビデオや、チーム三菱の戦いを追ったドキュメンタリーなど、臨場感あふれる映像が残されています。

これらの映像からは、参加者たちが直面した困難の数々が伝わってきます。砂漠での砂嵐、山岳地帯の急斜面、泥濘の中での走行など、想像を絶する環境での戦いが記録されています。モスクワの赤の広場に到着した選手たちが市民の熱狂的な歓迎を受けるシーンは、この大会の注目度の高さを物語っています。

1992年のパリ-モスクワ-北京ラリーの詳細情報(Wikipedia)
書籍や雑誌記事でも、当時の参加者によるインタビューや手記が残されています。特に日本のモータースポーツ専門誌には、日本人参加者の体験談が詳しく掲載されており、現在でも貴重な資料として参照されています。これらの記録は、現代のラリーレイドファンやバイク愛好家にとって、インスピレーションの源となっています。


パリ・モスクワ・北京ラリーの遺産

パリ・モスクワ・北京ラリーは、モータースポーツ史において特別な位置を占めています。このイベントは、冷戦終結直後の国際協力の象徴でもありました。旧ソ連圏を含む11カ国が協力してラリーを実現させたことは、スポーツが持つ平和的な力を示す事例となりました。


技術面でも、このラリーは自動車メーカーにとって絶好の実験場でした。過酷な環境下での車両テストを通じて得られたデータは、その後の市販車開発に活かされています。特に四輪駆動システム、サスペンション技術、エンジン冷却システムなどの分野で大きな進歩がありました。


技術発展に貢献したということですね。


現在、パリ・モスクワ・北京ラリーと同様の規模でユーラシア大陸を横断するイベントは存在しませんが、その精神は「北京パリモーターチャレンジ」などのクラシックカーラリーに受け継がれています。これらのイベントは37日間で約14,000kmを走破し、往年のラリーの雰囲気を現代に伝えています。


参考)北京パリモーターチャレンジについてPart2|人生を走るモー…


バイク乗りにとって、パリ・モスクワ・北京ラリーの物語は、限界に挑戦する人間の可能性を示す素晴らしい例です。日常のライディングでこのような極限状態に挑む必要はありませんが、安全運転の技術向上やバイクへの理解を深めることは、より豊かなバイクライフにつながります。定期的なメンテナンス、安全装備の充実、そして自分の限界を知ることが、長く楽しくバイクに乗り続ける秘訣です。




1992 パリ~モスクワ~北京 ラリー ラリーレイド プレス向け 資料 貴重