

予選上位のホンダ勢が本番で逆転された、という事実を知っていましたか?
2025年のマン島TTレースは、5月26日から6月7日にかけてイギリス王室属国のマン島(Isle of Man)で開催されました。使用されるのは1周約60kmのスネーフェル・マウンテンコース。ロンドンから飛行機で約1時間、北緯54度という北の島で、レースが行われる5月下旬から6月上旬は夜22時頃まで陽が沈まないという独特の環境です。
マン島TTレースは1907年に始まった、現在も開催されている中では世界最古の二輪レース。歴史は118年前にさかのぼり、今日に至ります。
コースは市街地・山間部・海岸沿いが混在する本物の公道で、200以上のコーナーを含みます。海抜0フィートから標高約396mまでの高低差があり、バイクがジャンプするほどの起伏も存在します。ここが普通のサーキットレースと決定的に違う点です。参加車両の最高速度は320km/h以上に達し、1周を16〜18分で走破します。
2025年は予選ウィーク(5月26日〜)から雨が一日も止まない日のない異常な悪天候に見舞われました。予選セッションの約半分が中止となり、本来ならコースを10周ほど走ってから決勝を迎えるはずが、多くのライダーが6周前後しか走れていない状態で決勝を迎える事態となりました。それでも主催者は「できる限り安全な形でレースを届ける」という姿勢を貫き、スケジュールを柔軟に変更しながら大会を進行させました。
| レース | 優勝ライダー | 使用マシン |
|---|---|---|
| スーパーバイクTT(6/2) | デイビー・トッド | BMW M1000RR |
| スーパースポーツTTレース1(6/2) | マイケル・ダンロップ | ドゥカティ・パニガーレV2 |
| サイドカーTTレース1(6/2) | ライアン&カラム・クロウ兄弟 | ホンダLCR |
| スーパーツインTTレース1(6/3) | マイケル・ダンロップ | パトンS1-R |
| スーパーストックTTレース1(6/3) | ディーン・ハリソン | ホンダ CBR1000RR-R |
| スーパースポーツTTレース2(6/4) | マイケル・ダンロップ | ドゥカティ・パニガーレV2 |
| サイドカーTTレース2(6/6) | ライアン&カラム・クロウ兄弟 | ホンダLCR |
| スーパーストックTTレース2(6/6) | ディーン・ハリソン | ホンダ CBR1000RR-R |
| スーパーツインTTレース2(6/6) | マイケル・ダンロップ | パトンS1-R |
| シニアTT(6/7) | 強風による中止 | |
レース数は当初の予定より少なくなりましたが、各クラスで激しい争いが展開されました。つまり「波乱の2025年」というのが正確な表現です。
参考:2025年マン島TTレース公式結果ページ
https://www.iomttraces.com/racing/page/2025-results/
今大会で最も注目を集めたのが、マイケル・ダンロップの圧倒的な強さでした。ダンロップは2025年のマン島TTで合計4勝を挙げ、通算勝利数を33に伸ばしました。これは歴代最多記録の更新であり、バイクファンにとっては「新時代の伝説」を目撃した瞬間でもあります。
彼の叔父であるジョイ・ダンロップはマン島TTで26勝を挙げた伝説的なライダー。マイケルはその記録を大幅に上回り、もはや「ダンロップ家の伝説」という枠を超えた存在です。
特にスーパースポーツTTレース1では、ドゥカティ・パニガーレV2(955cc)に乗り換えて30勝目を達成。これはドゥカティにとって1995年以来、実に30年ぶりとなるマン島TTでの勝利でした。
レースの展開も劇的なものでした。1周目を終えた時点でディーン・ハリソン(ホンダCBR600RR)が7.4秒のリードを保っていたのに対し、ダンロップが猛追。最終ラップ(3周目)に入ったときにはその差を2.9秒まで詰め、バラフブリッジ通過時点で逆転。最終的に10.2秒の大差でチェッカーを受けました。いいことですね。
スーパーツインTTでは、クラス最速の記録に迫るペースでパトンS1-Rを操り、レース2では2位に26.775秒差をつける圧勝でした。これが条件です——ダンロップの強さは、複数クラスへの同時エントリーによる豊富な経験と体力が支えているということです。
| クラス | 勝利数(2025年) | 使用マシン |
|---|---|---|
| スーパースポーツTT | 2勝(レース1・2) | ドゥカティ・パニガーレV2 955cc |
| スーパーツインTT | 2勝(レース1・2) | パトンS1-R |
参考:2025年ダンロップ記録達成の詳細(ヤングマシン)
https://young-machine.com/2025/06/03/652099/
今大会で「もう一つの主役」となったのが、6月7日に予定されていたシニアTTの中止です。これはマン島TTの最高峰クラスであり、最多賞金が懸かる大会のメインレース。中止になったのは史上2回目、前回は2012年のことでした。
最終日、グランドスタンド付近の天候は回復傾向にありましたが、マウンテンエリアでは強風が吹き続けていました。スタートは19時に設定されていたものの、コースインスペクションラップを終えたディーン・ハリソンやデイビー・トッドといったトップライダーたちがピット前で長時間話し込む場面が目撃されました。コンディションへの懸念を共有していたと見られます。
競技長のギャリー・トンプソンはライダーたちへのヒアリングを実施した後、19時前に中止を発表。場内では拍手が起こりました。ライダーたちが「中止で正解だ」と感じていたことが伝わる場面でした。
気になるのはシニアTTの賞金の行方です。優勝賞金は£26,250(約530万円)、レース全体の賞金総額は£88,725(約1,800万円)にのぼります。これは東京都内で新車のスポーツバイクを何台も買えるほどの金額です。主催者は、「シニアTTのスタートリストに名前があったライダー全員に賞金を分配する」と声明を発表。レースが行われなくても、エントリーしていたライダー全員に何らかの金銭的な恩恵が届くことになりました。
こうした判断は「バイクコミュニティへの敬意」として好意的に受け取られています。厳しいところですね——悪天候続きの中でレースを懸命に準備してきたライダーたちに対し、主催者が取れる最善の対応だったと言えます。
参考:シニアTT中止後の賞金配分に関する公式声明(IOM Today)
https://www.iomtoday.co.im/news/isle-of-man-tt-2025-organisers-reveal-what-happens-to-prize-money-from-cancelled-senior-race-802258
スーパーバイクTT(6月2日)は、BMW M1000RRを駆るデイビー・トッドが優勝しました。本来6周で行われるはずのレースが、スケジュール変更によって4周に短縮された状態でのスタートでした。
レースはトッドとマイケル・ダンロップ(BMW S1000RR)の2強対決の様相を呈しました。1周目はトッドが7.8秒リード、2周目にダンロップが激しく追い上げ、ピットイン後は1.8秒差に。最終ラップにはコース上でトッドをパスしトップに立ったかに見えましたが、最終タイム差はわずか1.296秒でトッドが逃げ切りました。TT通算3勝目です。
3位以下はディーン・ハリソン(ホンダCBR1000RR-R)が+43秒でフィニッシュ。ホンダ勢は予選でトップタイムを叩き出していただけに、決勝での逆転を許す結果は「意外」と感じたファンも多かったはずです。
スーパーストックTTはレース1・レース2ともにディーン・ハリソン(ホンダCBR1000RR-R Fireblade)が優勝し、このクラスを完全制覇しました。スーパーストックTTレース1の平均速度は134.667mph(約216.7km/h)と、今大会の全レース中でも最速の平均速度を記録しています。これはおよそ新幹線のぞみの最高速度(300km/h)に相当する速度で、一般道を走り続けているという事実は改めて驚異的です。
| 順位 | ライダー | マシン | タイム差 |
|---|---|---|---|
| 1位 | デイビー・トッド | BMW M1000RR | 1:08:20.628 |
| 2位 | マイケル・ダンロップ | BMW S1000RR | +1.297秒 |
| 3位 | ディーン・ハリソン | Honda CBR1000RR-R | +43.5秒 |
| 4位 | ネイサン・ハリソン | Honda CBR1000RR-R | +1分42秒 |
| 5位 | デイビッド・ジョンソン | Kawasaki ZX-10RR SE | +1分59秒 |
なお、最有力候補の一人だったピーター・ヒックマン(14回のTT優勝経験を持つ)は、5月29日の予選走行中にケローモア付近でクラッシュし、胸部・背部・肩・顔面への負傷を負ってノーブルズ病院に搬送されました。命に別状はなかったものの、全レースを欠場する事態となりました。後にヒックマン自身が「クラッシュから神経ダメージが続いている」と明かしており、マン島TTのリスクを改めて示す出来事となりました。
参考:mc-web.jpによるスーパーストックTT詳細レポート
https://mc-web.jp/life/170265/
マン島TTは「世界で最も危険な競技」とも呼ばれており、1911年のマウンテンコース移転から2023年までに260人以上の参加者が命を落としています。これは他のモータースポーツには存在しない、特殊な数字です。
なぜそれほどまでに危険なのか。サーキットレースと根本的に異なる点は、コースが「普通の公道」であることです。エスケープゾーンがほぼ存在せず、石垣・電柱・マンホール蓋が沿道にそのままあります。路面はレーシングサーキットのように完全に整備されておらず、わずかな段差でバイクが数十メートル宙を舞うことさえあります。平均速度200km/hを超えながら、そのコースを走り続けるわけです。
一方で、マン島TTには「完走者全員が称えられる文化」があります。順位よりも完走そのものが尊重され、フィニッシュしたライダー全員がステージに上がってメダルを受け取ります。これは一般的なロードレースにはない、マン島TTだけの文化です。2025年も、山中正之を含むすべての完走ライダーが表彰を受けました。
また、2025年は2024年に続き死亡者ゼロで大会を終えています。2025年の大会は「2024年、2025年と2年連続で死亡事故がなかった稀なケース」と記録されています。これはコース安全性の向上や主催者の迅速な判断(シニアTT中止など)が功を奏した結果でもあります。結論はこうです——命を守るための中止判断こそが、今年の最重要決定だったとも言えます。
マン島TTをバイク乗りの視点から理解するうえで欠かせないのが、1周60kmという距離感です。東名高速道路の東京ICから横浜IC間が約30kmですから、その約2倍。しかも曲がりくねった公道をノンストップで20分弱で駆け抜けるのです。この感覚を体感したいなら、大会観戦ツアーも近年注目されており、日本からのツアー参加者も増えています。
参考:マン島TTレースについてのWikipedia(日本語)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E5%B3%B6TT%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B9
2025年のマン島TTに唯一参戦した日本人ライダーが、山中正之です。2017年から数えて今回が7回目の参戦となり、カワサキER-6f(ニンジャ650)でスーパーツインTTクラスに出場しました。
今年の挑戦は、開幕前からトラブルとの戦いでした。予選1回目の途中でミッションが入らなくなるマシントラブルが発生し、ミッションを丸ごと交換するという事態に。5回目の参戦となるこのマシンで積み上げてきた「感覚」が、交換によってリセットされてしまったのです。
それでも山中は、バイクに搭載したビデオカメラの映像でイメージトレーニングを行い、新しいミッションへの対応を短期間で完成させました。「250くらいコーナーがあるので、全部覚えるのは難しいんですけどね(笑)」という言葉に、プロの覚悟と余裕が感じられます。
🏁 山中正之の2025年・決勝結果。
- スーパーツインTTレース1(6/3):タイム 41分20秒867 / 平均時速109.5mph(約176km/h) / 31位 / 自己ベストラップ更新 ✅
- スーパーツインTTレース2(6/6):タイム 1時間2分24秒672 / 平均時速108.817mph(約175km/h) / 25位 ✅
2レースを完走し、レース1では自己ベストの平均ラップスピードを更新。ブロンズレプリカの授与対象となり、表彰式では全完走者と並んでステージに立ちました。
山中はレース後、こう語っています。「ゴールライン通過したときは、ほっとしますね。『よかった……』という安堵を感じます。手伝ってくれた人たちみんなに喜んでもらえてよかったという気持ちです。普通のレースとは……、違うかもしれないですね」。
この言葉は重いですね。1周60kmの公道を1時間近くミスなく走り切った後の言葉として、バイク乗りなら誰もが共感できる重みがあります。
参考:山中正之の2025年マン島TTレポート(Metzeler公式)