

WSB通算43勝を誇りながら、世界チャンピオンにはなれなかった芳賀紀行が、今もバイクレース界の最前線に立ち続けています。
スーパーバイク世界選手権(WSB)で通算43勝という輝かしい記録を持ちながら、現役引退後も芳賀紀行はレース界から離れることなく活動を続けています。2026年現在、芳賀は「Nitro Ryota Racing」のチーム監督として、全日本ロードレース選手権ST600クラスに参戦しています。
2026年シーズンは2台体制での参戦で、ライダーには岡部怜(23歳)と田中啓介(18歳)を起用。マシンはYAMAHA YZF-R6を使用しています。若いライダーたちの育成に全力を注ぐ姿は、現役時代の「勝つか転倒か」というアグレッシブなスタイルとはまた異なる、指導者としての芳賀紀行の新しい一面です。
もともと、2020年に長男・瑛大と次男・涼大という2人の息子のために設立した「NITRO RACING 41」が、このチームの前身です。現役時代のニックネーム「Nitro Nori」に由来するこのチーム名には、父親としての愛情と、レース界への深いこだわりが詰まっています。2025年には体制が変わり、チームの実務的な代表職は兄の芳賀健輔(元ヤマハファクトリーライダー)が担うようになりました。芳賀紀行本人は海外レースとの橋渡し役も兼ねる形となっています。
つまり現在は「現役を離れた後も、レースとともに生きている」という状況です。
また、2022年から開設したYouTubeチャンネル「Nitro Nori 41」では、現役時代のエピソードからライディング理論まで、幅広いコンテンツを配信しており、バイク好きのファンには必見の内容となっています。
芳賀紀行の公式YouTubeチャンネル「Nitro Nori 41」でライディング論や現役時代の秘話を視聴できる
現在の芳賀紀行を語るうえで、その輝かしい経歴を振り返ることは欠かせません。1975年3月2日、愛知県名古屋市生まれの芳賀紀行は、兄の健輔とともに幼少期からポケバイ・ミニバイクの世界で頭角を現しました。
まず注目すべきは1996年の鈴鹿8時間耐久ロードレースでの優勝です。コーリン・エドワーズとのペアで214周という当時の大会新記録を打ち立て、さらに史上最年少ペア優勝(当時21歳)という記録まで刻みました。翌1997年には全日本ロードレース選手権スーパーバイククラスのチャンピオンを獲得し、そのまま1998年からはスーパーバイク世界選手権(WSB)のステージへと飛び出しました。
WSBでのキャリアは圧巻です。2000年にランキング2位、2007年・2009年にもランキング2位を記録。通算43勝・表彰台116回・ファステストラップ52回という驚異的な数字を残しました。なかでも1998年にヤマハから得た5勝はシーズン最多優勝タイ記録で、この年のランキング6位という結果以上にその速さを世界に印象づけました。
驚くべき事実があります。これだけの戦績を持ちながら、WSBの年間チャンピオンは1度も獲得していません。43勝という数字はWSBランキング上位の常連ライダーに匹敵しますが、転倒・マシントラブルによるリタイアも多く、ランキングを詰め切れなかったというのが正直なところです。「勝つか転ぶか」という走りの代償とも言えますね。
ライディングスタイルについても話は尽きません。「縁石はコース内」と公言し、ハングオン時には体がバイクの陰に隠れるほど深く傾ける独特のフォーム。アメリカ・ラグナ・セカでは「芳賀ライン」と呼ばれる独自の走行ライン取りがあるほど、個性的かつ高度なテクニックの持ち主でした。ミハエル・シューマッハが自らのファンだと公言したのも納得のスタイルです。
ニックネームは「Nitro Nori(ニトロノリ)」、マスコットは「狂犬」。そしてゼッケン41は、父親の誕生日である4月1日(41)に由来する愛着のある番号で、現在のチームや公式サイトのアドレスにまでその数字が息づいています。
Wikipedia「芳賀紀行」:生涯戦績や年度別ランキングなど、詳細なレース履歴が確認できる
芳賀紀行の現在を語るとき、どうしても避けられない悲しい出来事があります。2024年9月8日、大分県のオートポリスで行われた全日本ロードレース選手権第6戦ST600クラスの決勝で、次男の芳賀涼大(当時21歳)がスタート直後の多重接触事故に巻き込まれました。
事故の概要はこうです。涼大はグリッド4番手からスタートしようとした際、マシンがエンストしてしまい、後続の2台に追突されるという形で倒れました。その場でコースアウトし緊急搬送されましたが、意識を取り戻すことなく翌9日に21歳という若さで亡くなりました。
これは痛いですね。WSBで43勝を誇る父親が見守る中で、息子が旅立ってしまうという現実は、言葉に尽くせない喪失感だったはずです。芳賀紀行はSNSとメディアを通じて「ライダーとして成長している最中のアクシデント」と悲痛なコメントを発表しました。
しかし芳賀は立ち止まりませんでした。チーム名を涼大への追悼を込めて「Nitro Ryota Racing」と改称し、2025年・2026年と活動を継続しています。亡き息子の名前をチーム名に刻み込むことで、涼大のレーサーとしての夢と魂をレース界に残し続けようとする姿勢がうかがえます。これが、現在の芳賀紀行が前を向き続ける最大の理由です。
また、長男の瑛大(2002年生まれ)も現役ライダーとして活動中です。2026年シーズンはTeam TATARA apriliaから全日本ロードレース選手権ST1000クラスにフル参戦するほか、アジア選手権にも参戦する予定です。芳賀紀行の意志は、チームという形と息子という形、2つのルートで未来へとつながっています。
オートスポーツweb「芳賀涼大の訃報」:事故の経緯と業界の反応が詳細に記録されている
芳賀紀行が現在も発信し続けているYouTubeチャンネル「Nitro Nori 41」では、バイク乗りにとって非常に参考になる内容が数多く取り上げられています。特にバイクの練習方法やライディングへの考え方は、公道でもサーキットでも役立つ視点が満載です。
なかでも注目は、芳賀が語る「縁石はコース内」という哲学です。一般的なライダーの多くは縁石の摩擦係数の違いを嫌い、積極的には乗り上げません。しかし芳賀の場合、縁石を「使えるスペース」として積極的に活用することで独自のラインを切り開いてきました。これはサーキット走行を楽しむ市販車ライダーにとっても、「いかにスペースを有効に使うか」という考え方の示唆に富んでいます。
また、ロケットスタートの技術も有名な話です。「予選は2列目までに入れれば十分」と言い切るほど強烈なスタートダッシュを武器にしていた芳賀は、スタートという最初のコンペティションを最大限に活かす戦略家でもありました。バイクを操る者にとって、スタートの出遅れは取り返しがつきにくい局面が多いですが、芳賀のアプローチは「スタートで稼ぐ」ことを軸にした明確なレース戦略から来ています。
これは使えそうです。市販車でのツーリングやジムカーナなど、スタート加速の質がタイムや安全性に直結する場面は多く、芳賀のクラッチ・スロットルワークへの哲学は大いに参考になります。
さらに芳賀は、転倒しても大怪我につながらない受け身の技術が高いことでも知られています。2008年のソルトレイクで骨折する以前は、「転倒を起因とする骨折ゼロ」という記録を長年にわたって保持していました。これは単純に転ばないのではなく、転んでも最小限のダメージに抑える「倒れ方の技術」を持っていたことを意味します。
リスクマネジメントの観点で言えば、公道ライダーにとって最も重要なのは「転ばないこと」に加え「万が一の際に被害を最小化すること」です。プロテクター装備の徹底はその第一歩といえます。バック・インナー・肘・膝のプロテクターをすべて装着したジャケットは、初期投資として1〜3万円台から揃えることができます。芳賀の受け身哲学は、プロテクター選びの意欲を改めて後押ししてくれます。
「勝つか転ぶか」と評された走りで世界のレースシーンに43の勝利を刻みながら、ついに年間チャンピオンには届かなかった芳賀紀行。しかし現在、その肩書きは「元ライダー」ではなく、「育てる者」としての顔に変わっています。
Nitro Ryota Racingで若いライダーを指導する傍ら、YouTubeで自らの経験と哲学を発信し、WSBという世界最高峰の市販車改造レースで培ったノウハウを日本のレース界に還元しようとしています。こうした活動は、単なる引退ライダーのセカンドキャリアとは一線を画すものです。
特に注目したいのは、芳賀が世界を舞台に戦ってきた経験から語る「日本のライダーが世界に出るための準備」という視点です。長男・瑛大がEWC(世界耐久選手権)のスーパーストッククラスにも挑戦していることからも、芳賀紀行が「世界への架け橋」という役割を意識していることが伝わります。
WSBで43勝というのは、具体的にどれくらいすごい数字なのでしょうか?たとえばNBAの1選手が3ポイントシュートを43本決めるのと同じくらい、「圧倒的に多いが、タイトル自体とは別物」という感覚に近いかもしれません。WSBの1シーズンに全てのラウンドを走った場合の最大レース数は約26戦ほどで、43勝はおよそ2シーズン分の全勝に相当する数です。それだけ個々のレースでは圧倒的な速さを持ちながら、年間を通じた安定性という一点で惜しくもタイトルを逃し続けました。
これが基本です。速さと安定性のバランスは、世界レベルでもチャンピオンシップを左右する最重要テーマであり、それは公道を走る私たちにも「ペースの組み立て方」として共通する示唆を与えてくれます。
2026年現在も、芳賀紀行はレース界と向き合い続けています。43勝という数字が示すのは「速さ」であり、現在の姿が示すのは「愛情」です。次男への追悼、長男の育成、若手ライダーの指導——それら全てを束ねる形で、今日も芳賀紀行はサーキットの傍らに立ち続けています。
オートスポーツweb「Nitro Ryota Racing 2025年体制発表」:芳賀紀行のチーム監督就任の経緯と参戦計画が詳しく掲載されている