高橋巧のバイクレースで刻んだ鈴鹿の伝説

高橋巧のバイクレースで刻んだ鈴鹿の伝説

高橋巧のバイクレースで鈴鹿の伝説を刻んだ全記録

「8耐7勝のライダーが『8耐は好きなレースじゃない』と公言している。」


🏍️ 高橋巧とは?3つのポイントで理解する
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鈴鹿8耐・史上最多7勝

2025年8月の第46回大会で優勝し、自身の持つ最多優勝記録を7に更新。HRCとして4連覇も達成した、現役最強の耐久ライダー。

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3歳でバイクデビュー

父親の影響で3歳の誕生日にポケバイを手にし、以来30年以上バイクレースひと筋。学校が終わるたびにサーキットへ通い続けたストイックな姿勢がすべての土台。

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HRC契約ライダー兼MotoGPテストライダー

ホンダのファクトリーライダーとしてレースに参戦しながら、最高峰MotoGPマシン「RC213V」の開発テスト走行も担う。レーサーとエンジニアの二面性を持つ存在。


高橋巧のバイクレース入門:3歳から始まったキャリアの全貌


高橋巧(たかはし たくみ)は1989年11月26日、埼玉県北本市生まれのモーターサイクル・ロードレースライダーだ。その名が広く知られるようになったのは鈴鹿8時間耐久ロードレース(通称・鈴鹿8耐)での圧倒的な戦績からだが、そのキャリアの原点は驚くほど早い。


彼がバイクに乗り始めたのは3歳の誕生日。父親がバイク好きだったことがきっかけで、1993年11月26日の誕生日、プレゼントとしてポケバイが届けられた。記憶さえない年齢からの出発だ。4歳で日光サーキットのレースに参加し、9歳で関東ロードミニ選手権のデビュー戦で優勝という成績を残している。


その後も着実にステップアップを続け、10歳で強化合宿のためにアメリカ・カリフォルニア(ローダイ)へ単身渡米。なんとケニー・ロバーツの父親に会うというエピソードも残っている。これは10歳の少年の行動とは思えない。


2003年(13歳)でハルクプロに移籍し、2004年(14歳)で全日本ロードレース選手権GP125クラスにデビュー。2005年にはGP250クラスへ昇格し、同クラスのルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。そして2008年(18歳)、全日本ロードレース選手権GP250クラスでシリーズチャンピオンを獲得。このタイトルはGP250クラス史上最年少チャンピオンの記録だった。


つまり、3歳から始めて15年で全日本最年少チャンピオンが誕生したということですね。


日本の主要なバイクレースとしては、全日本ロードレース選手権(国内最高峰のJSB1000クラスを筆頭に複数クラスが存在)が代表格だ。世界最高峰はMotoGPクラスで、その下にMoto2、Moto3がある。耐久レースとしては、FIM世界耐久選手権の一戦であり日本が誇る鈴鹿8耐が国内最大のバイクレースイベントとして知られている。


高橋選手はこれらのカテゴリーを幅広く経験してきた、国内屈指のオールラウンドなライダーだ。


全日本ロードレース公式:高橋巧ライダー紹介ページ(戦績詳細)


高橋巧のバイクレース最大の舞台・鈴鹿8耐で史上最多7勝を達成した理由

高橋巧選手を語るうえで欠かせないのが、鈴鹿8耐での桁外れの強さだ。2008年の初参戦から2025年大会まで、最多優勝記録を7勝にまで伸ばしている。2位の宇川徹氏(5勝)を大きく引き離す、前人未到の記録だ。


🏆 鈴鹿8耐における高橋巧の主な優勝歴


| 年 | チーム | コパートナー |
|---|---|---|
| 2010年 | MuSASHi RT ハルクプロ | 清成龍一 / 中上貴晶 |
| 2013年 | MuSASHi RT ハルクプロ | レオン・ハスラム / ファン・デル・マーク |
| 2014年 | MuSASHi RT HARC-PRO | レオン・ハスラム / ファン・デル・マーク |
| 2022年 | Team HRC | 長島哲太 / イケル・レクオーナ |
| 2023年 | Team HRC | 長島哲太 / チャビ・ビエルゲ |
| 2024年 | Team HRC | ヨハン・ザルコ / 名越哲平 |
| 2025年 | Honda HRC | ヨハン・ザルコ |


2025年の大会は特別な事情があった。通常は3人のライダーで8時間を分担するところ、1人のライダーが直前に欠場することになり、高橋巧とヨハン・ザルコの2人のみで8時間を走破するという「異常事態」だった。路面温度が69℃に達するほどの灼熱コンディションの中、2人は217周を走りきって優勝。それが7勝目となった。


強さの核心は何か。まず「マシン開発力」が挙げられる。彼はHRC契約ライダーとして、鈴鹿仕様のCBR1000RR-Rファイアブレードのセッティングを全て自分主導で構築する。インタビューでこう語っている。「乗りやすく、速くしたいなと思ってやっていた。ある程度、自分好みになっちゃいますよね」。つまり、マシンと一体化した状態で戦えるのが強みだ。


次に「暑さへの徹底的な準備」だ。気温35度の炎天下でサウナスーツを着てランニングするトレーニングを毎年5〜6月から重ね、猛暑の鈴鹿でも汗をあまりかかずに1スティントを走りきる体を作っている。自身は「暑がりだから好きなレースじゃない」と言いながらも、だからこそ準備を怠らないということですね。


そして「精神的な冷静さ」。最高で時速240kmに達するレースの中でも「物凄く冷静です」と本人が語るほど、判断力が際立っている。2024年大会の終盤、HRCに+40秒ペナルティが課せられた場面でも、タワーの残り時間表示を確認して「残り2ラップで10秒縮められるはずがない」と論理的に判断し、安定したペースを維持してゴールした。


Honda公式:高橋巧選手独占インタビュー「鈴鹿8耐3連覇を達成したHRCファクトリーのすべて」


高橋巧のバイクレースにおける全日本JSB1000チャンピオンへの道

鈴鹿8耐の記録が注目されがちな高橋巧だが、スプリントレースでも国内最高峰の称号を持つ。2017年、全日本ロードレース選手権JSB1000クラスでシリーズチャンピオンを獲得している。この道のりは決して平坦ではなかった。


2009年にJSB1000クラスへ参戦を開始してから、2010年には開幕戦で最年少優勝(20歳4ヶ月)を記録。その後もランキング2位を5度記録するなど、常に上位に名前を刻んできた。しかし2016年まではライバルの中須賀克行選手(ヤマハ)の壁を越えられなかった。


転機は2017年だった。ホンダが新型「CBR1000RR SP2」を投入し、高橋選手を軸に開発を進めたこのシーズン、参戦9年目にして初のチャンピオンを手にした。「新型CBRで勝ててうれしい」と語ったこのタイトルは、ホンダのJSB1000クラス優勝としても6年ぶりという価値を持つものだった。


9年間でタイトルを取るというのは長い道のりに見えるかもしれない。でも、ライバルの中須賀選手は2008年から2016年にかけてほぼ連続でタイトルを獲得していた圧倒的な壁だったことを考えると、ランキング2位を5度という成績がいかに高いレベルでの争いだったかが分かる。


スプリントレースに求められる能力と耐久レースに求められる能力は異なる部分が多い。スプリントでは予選ラップタイムの絶対値と短距離での判断スピードが問われる。一方、耐久レースではタイヤマネジメント、ペース配分、チームとの連携、そして長時間の集中力維持が必要だ。高橋選手はどちらの能力も高水準で兼ね備えている。これが条件です。


📋 高橋巧の主なタイトル一覧


- 2008年:全日本ロードレース選手権GP250クラス・チャンピオン(最年少記録)
- 2010年:鈴鹿8耐優勝(実走ライダー最年少記録・20歳7ヶ月)
- 2017年:全日本ロードレース選手権JSB1000クラス・チャンピオン
- 2022〜2025年:鈴鹿8耐4連覇(チームHRC)
- 2025年:鈴鹿8耐通算7勝(史上最多記録)


Honda公式:2017年全日本ロードレース選手権JSB1000クラス高橋巧チャンピオン獲得プレスリリース


高橋巧のバイクレースで見せた海外挑戦と独自視点・MotoGPテスト走行の実態

あまり一般には知られていないが、高橋巧選手はHRC(ホンダ・レーシング・コーポレーション)の契約ライダーとして、MotoGPマシン「RC213V」の開発テスト走行を担当してきた。これは青山博一らと並ぶ、ホンダにとって最重要な技術開発の役割だ。


テストライダーの仕事とは何か、少し詳しく説明しよう。MotoGPチームはレース参戦ライダーとは別にテストライダーを抱え、シーズン中・オフシーズンを通じてエンジンや電子制御、サスペンションなどの開発のためにサーキットを走行する。フィードバックの正確さと開発の方向性の正しい理解が求められる、高度に専門的な職種だ。


2015年、高橋選手はその技術力が認められ、MotoGP日本グランプリにワイルドカード参戦(最高峰MotoGPクラス)。予選・決勝を経験した数少ない日本人ライダーの1人となった。


そして2020年からは海外フル参戦をスタート。スーパーバイク世界選手権(SBK/WSBK)に参戦し、2021〜2022年はイギリスのBSB(ブリティッシュスーパーバイク選手権)に参戦した。この海外経験で得た知見が、後の国内レースでの進化に大きく影響している。


本人のインタビューにこんな言葉が残っている。「BSBに行った時に強く感じたのは、馬力があれば良いってもんじゃない、ということ。イギリスは小さいコースが多いから、下(低中速域)がなかったら何もできない」。この認識が、2024年型CBR1000RR-Rの低中速重視セッティング方針として結実している。


テストライダーとレーサーを兼ねることで、開発したマシンをそのままレースで検証できる。これは高橋選手の強みのひとつです。


海外での経験と発見を国内のマシン開発に還元し、自分自身のレースパフォーマンスも高めていく──このサイクルが、年齢を重ねながらも進化し続ける高橋選手の強さの秘密だと言えるだろう。バイクに乗る者として「乗るだけ」で満足せず、マシンを深く理解することが競技力に直結するという好例だ。


Honda公式:HRCテストライダー高橋巧選手がワイルドカードでMotoGPに初参戦(2015年)


高橋巧のバイクレースから学ぶ・ライダーとしての練習・体づくりの哲学

高橋巧選手の強さはタレントだけではない。30年間にわたって継続されてきた練習と体管理の哲学が土台にある。バイクを楽しむすべての人にとって、参考になる視点が多い。


まず「練習の継続性」について。高橋選手は子供の頃、学校が終わると自宅から20分ほどのサーキットへ向かい、夜間のナイト走行を繰り返す日々を何年も続けた。友人と遊ぶ時間はほとんどなかった。本人は「最初はなぜこんなことをしなければならないのか、と思っていた」と語っている。しかし、レースで勝ったときの喜びが自発的な練習意欲を生み出し、以来30年以上勝ちへのこだわりが続いている。


続いて「暑さ対策トレーニング」の具体的手法だ。鈴鹿8耐に向けた準備として、毎年5〜6月から特別なトレーニングを積み始める。気温35度の炎天下でサウナスーツを着て外をランニングするという内容で、「気温以上に辛い状況に身体を置いて動かす」が基本方針だ。8耐の1スティント(約1時間)に合わせ、1時間以上動き続けることを意識している。


これは使えそうです。


ロードレースに限らず、バイクでツーリングや競技を楽しむライダーには、夏場の熱中症リスクは実感がある問題だ。プロが行う「日常的に厳しい条件に体を慣らす」という考え方は、普段の生活にも応用できる。まずは暑い日の短距離ランニングや、サウナと水風呂を繰り返すことで体の暑さへの適応力を高めることが第一歩になる。


「体の管理」に関しても興味深いエピソードがある。高橋選手は元々食事管理に無頓着で、「朝も食べず、昼も食べず、夜だけ」という生活を送っていた時期があった。海外遠征中に専門家の指導で血液検査を受けた結果、栄養不足が明らかになったという。サプリメントによる不足栄養素の補充を始めてから、「疲労感が今までと違う」と体感できるほどの変化があったと語っている。


スポーツは体が資本です。


📋 高橋巧式・コンディション管理の基本


- 毎日のジムトレーニングおよびランニングの継続
- 5〜6月から鈴鹿8耐向けの暑さ対策トレーニング開始(サウナスーツ外ランニング等)
- 血液検査による不足栄養素の把握とサプリメント活用
- 食事の見直し(プロテイン摂取の習慣化)


一般のバイクライダーが高橋選手と全く同じトレーニングをする必要はないが、「自分の体の状態を客観的に把握する」という姿勢は共通して応用できる。特にロングツーリングや夏場の走行では、脱水や栄養不足が集中力の低下に直結する。ライダーとして安全に走り続けるためにも、基本的な体管理は軽視できない点だ。


暑さトレーニングの具体的なメニューや補給の知識を深めたい場合、スポーツ栄養・コンディショニングに特化した書籍やオンラインコーチングサービスも参考になる。「1時間以上体を動かし続ける習慣」が血流や持久力の底上げにつながるというのは、バイクライダー向けの体力づくりとしても有効な考え方だ。


GloryDay:高橋巧選手インタビュー「鈴鹿8耐5TIMES チャンピオンの熱狂と健康術」