

フロントフォークを縮めて固定するだけなのに、スタート順位が3〜5番手以上変わることがある。
「ホールショット」とは、モトクロスレースでスタート直後に誰よりも先に第1コーナーへ飛び込むことを指す用語です。横一列で並んでスタートするモトクロスでは、最初のコーナーで前に出ることができれば、その後の展開を非常に有利に進められます。先行逃げ切りが得意なライダーだけでなく、追い上げ型のライダーにとっても、スタートダッシュを決めることは大きな意味を持ちます。
そのホールショットを確実に取るために生まれたのが「ホールショットデバイス」です。デバイスというと電子制御をイメージしがちですが、実は完全な機械式の仕組みで動作します。これが重要なポイントです。
最初のホールショットデバイスは1979年に、Team Husqvarnaのライダーであるアーロ・イングランド氏によって発明されました。しかし当初はあまり普及せず、2001年にヨーロッパのファクトリーヤマハチームがMXGP世界選手権でチャド・リードとともに復活させるまで、長らく忘れられた存在でした。その後、ホンダのファクトリーチームが独自のデバイスを開発し、Works ConnectionやPro Circuitといったアフターパーツメーカーが一般向けに市販を開始。以来、モトクロスレースでは定番中の定番アイテムとなっています。
発明から市販化まで約20年かかったというのは、意外な歴史ですね。
現在では全日本モトクロスのIA-1クラスに出場するようなトップライダーはもちろん、地方選手権レベルのライダーもほぼ全員が装着しているほど普及しています。後述するMotoGPの世界でも2019年頃からドゥカティが導入し、全チームへと一気に広まりました。
ホールショットデバイスが解決しようとした問題は「ウイリー(フロントアップ)」です。バイクで全開加速すると、エンジンのトルクによってリアタイヤが地面を蹴り、その反力でフロントが浮き上がろうとします。フロントが上がってしまうと、タイヤと地面の接触が不安定になり、スロットルを緩めなければならなくなります。つまりウイリー=減速、という構図です。
ウイリーを防げば全開加速が維持できる。これが基本原則です。
モトクロス向けのホールショットデバイスの仕組みは、シンプルながら非常に理にかなっています。フォークガードに取り付けたユニットから出るロックピンを、フロントフォークのアウターチューブに設けたホルダーで受け止め、フロントフォークを縮めた状態で機械的に固定する構造です。
具体的な動作手順を見ていきましょう。
つまりブレーキが解除トリガーということですね。
バネ式のピンを使う設計では、フォークガードの押しボタンを押してバネを縮め、ピンをフォークレッグの穴にラッチさせます。フォークが十分に圧縮されると、ピンが自動的に元の位置にスナップバックしてロックが外れる仕組みです。現在市販されているXTRIGのホールショットデバイスなどは、ホルダーが「クランピングタイプ」で開く設計になっており、フォークを外さずに着脱できる使い勝手の良さも魅力のひとつです。
デバイスをセットする深さによってスタート姿勢が変わります。深く縮めるほどフロントが低くなり、前傾姿勢が強まります。ただし前側に重心が寄りすぎると、リアタイヤへの荷重が減ってトラクションが落ちるというトレードオフもあります。XTRIGのHigh/Lowタイプは、上下12mmの範囲でレバーひとつで固定位置を選択できる設計になっており、路面状況やライダーの好みに応じて調整できます。
なお、モトクロスではフロントのみへの装着が標準ですが、リアに装着するケースも存在します。リアデバイスはリアショックを縮めた状態で固定し、サスペンション全体を剛体化することで、スタート時のパワーをすべて前進力に変換しようという発想です。ただし前後同時装着はセッティングが難しく、一般的にはあまり普及していません。
注意点として、デバイスが正常に解除されないケースが起きることもあります。スーパークロスのように最初のジャンプまでの距離が短い場合、フォークがまだ固定されたままジャンプへ突入してしまうことがあります。この場合、フォークのストロークが制限された状態で着地することになり、転倒につながるリスクがあります。2021年のオランダGP(MXGP)ではジェフリー・ハーリングス選手のデバイスが誤作動し、後続ライダーが着地してしまう接触事故が発生しています。デバイスは万能ではない、ということを覚えておきましょう。
セッティングと路面の相性の確認が条件です。
参考:モトクロスのホールショットデバイスの仕組みと効果について詳しく解説しています。
MotoGPで使われるホールショットデバイスは、モトクロスのフロント固定タイプとは根本的に異なります。ドゥカティが2019年シーズンに初めて実戦投入し、他チームが分析を始めた当初は「何をしているのかまったくわからない」と言われたほど、その仕組みは巧妙です。
MotoGPのホールショットデバイスが狙うのはリアサスのロックです。
フロントフォークについては、MotoGPでは全チームにオーリンズがほぼ同スペックのサスペンションを供給しているため、特定チームだけがフロントに独自のロック機構を組み込むことが難しい事情があります。そのため、ドゥカティはリアサスペンションのリンク機構(ロッカーアームやリンクロッド部分)をロックするアプローチを選択しました。
仕組みの概要は次のとおりです。
バネの力を使って作動させる純機械式の設計になっており、これが当時のMotoGPレギュレーション(油圧アクチュエーターは禁止、バネ反力を使う機械式デバイスはOK)に適合していた理由のひとつです。
これは使えそうです。
MotoGPのバイクはスタート時に大きな問題を抱えています。MotoGP機のエンジンは1000ccで、最高出力は300馬力近くに達します。そのパワーを0km/hから一気に解放するため、ウイリーの問題が市販車や下位クラスとは比べ物にならないほど深刻です。ホールショットデバイスがリアサスをロックしてバイクの重心を低く抑えることで、ウイリーを機械的に封じ込める仕組みです。陸上競技の短距離走のスタートで前傾姿勢を取る原理と本質的に同じです。
2021年の開幕戦カタールGPでは、この効果が如実に現れました。ホルヘ・マルティン選手(ドゥカティ)が14番グリッドからスタートして、たった1周目に4番手まで順位を上げるという劇的なジャンプアップを見せています。スタート後わずか数百メートルで10ポジション以上のゲインは、ホールショットデバイスなしでは考えられない数字です。
その後、ホンダ・ヤマハ・アプリリア・スズキなど全メーカーが自社版のデバイスを開発・投入しました。ただし実用レベルでは2026年現在もドゥカティが一歩抜け出た状態が続いていると言われています。
参考:MotoGP公式によるホールショットデバイスとライドハイトデバイスの詳しい技術解説ページ(英語)です。3Dグラフィック動画も掲載されています。
「ホールショットデバイス」と「ライドハイトデバイス」は混同されがちな用語ですが、使う局面が異なります。この違いを把握しておくと、MotoGP中継の解説がぐっとわかりやすくなります。
ライドハイトデバイスのほうがより汎用性が高く、スタートだけでなくレース中の立ち上がり加速にも恩恵があります。ホールショットデバイスはその「スタート特化版」と理解するのがわかりやすいです。
ライドハイトデバイスが上位互換というイメージが基本です。
両者の技術的な仕組みは連続性があり、ドゥカティはホールショットデバイスの技術を発展させる形でライドハイトデバイスを開発したとされています。現在のMotoGPマシンには、フロントとリアの両方にホールショットおよびライドハイトのデバイスが搭載されており、スタート時はフロント・リア同時にロックをかけてドラッグレーサーのような超低姿勢でスタートする姿が見られます。コーナー立ち上がりではリアのライドハイトデバイスが作動し、バイクの後ろを沈み込ませてウイリーを抑制します。
しかし、これらのデバイスは安全性の問題とも表裏一体です。2023年のMotoGP開幕ラッシュでスタート直後のクラッシュが増加した背景として、ホールショットデバイスによってスタートダッシュが過剰に速くなり、第1コーナーへの進入スピードが上がりすぎてブレーキングポイントの判断が難しくなったことが一因と指摘されています。
この課題への回答として、MotoGP主催のドルナスポーツは2024年5月に2027年からの技術規則大幅改定を発表しました。内容によると、2027年シーズンからはホールショットデバイス・ライドハイトデバイスを含む全ての車高調整デバイスが完全禁止となります。エンジン排気量も1000ccから850ccへ削減され、マシンのパフォーマンスを抑制する方向で規則が刷新される予定です。
安全とスペクタクルのバランスが原則です。
参考:MotoGP公式による2027年技術規則改定の詳細発表。ホールショットデバイス禁止の背景と目的が記されています。
ホールショットデバイスを語る上で、実はあまり語られない現実的な問題があります。デバイスのセッティングを「1人で行うのが意外と難しい」という点です。
フロントフォークを90mm〜110mmも縮めた状態を維持しながら、ピンをホルダーにかける動作は両手が必要です。レース会場ではメカニックがサポートしてくれますが、個人で練習に行く場合は1人でセットしなければなりません。
1人でのセットは慣れるまで時間がかかります。
対策として、セルフセット対応の設計を持つ製品が登場しています。サドルにまたがって体重でフォークを縮め、片手でレバーを操作してロックをかけられる製品であれば、1人でのセットが現実的になります。購入前に「1人セット可能かどうか」をスペック表で必ず確認することをおすすめします。
また、ホールショットデバイスはフォークガードに大きな負荷をかけるという問題もあります。デバイス起動中、フォークガードはフロントフォークのロックピンを支えながら全体の荷重を受け止め続けます。その力は、フォークガードの取り付けボルトが根元からもげるほどの大きさになることもあります。
モトクロスの全日本選手権レベルではフォークガード破損がたびたび起きており、現場のファクトリーライダーたちが自作の補強パーツを使っていたことがヒントとなって、市販の「フォークガードホルダー」という補強パーツが生まれました。これは取り付けボルトに重ねて使い、フォークガードの千切れを防ぐニッチなパーツです。
フォークガードの強度確認が条件です。
デバイス本体の価格はシングルタイプで税抜10,000円前後、High/Lowタイプで税抜13,000円前後(XTRIGの場合)が相場の目安です。バイクのブランドによってフォーク径やフォークガードとフォーク間の距離が異なるため、汎用品でも適合確認が必要です。スズキとホンダではフォークガードとフォークレッグの距離が異なる点が代表的な例で、購入前に必ずメーカーサイトまたはショップへの問い合わせで適合を確認しましょう。
スーパークロスとモトクロスでもセッティングの傾向が違います。スーパークロスでは最初のターンまでの距離が短く、フォークをより深く沈めた状態(150mmほど)でデバイスをかけるライダーが多く見られます。モトクロスコースでは90mm〜110mmが標準的なセッティングです。深く縮めすぎると、ブレーキで解除されるタイミングが早まりすぎたり、フォークの動きが制限されて最初のジャンプに影響したりするケースもあります。路面やコースレイアウトに合わせた調整が重要です。
参考:XTRIGホールショットデバイスの仕組みと効果、製品ラインナップについて詳しく紹介されています。
Technixブログ|XTRIGホールショットデバイスの仕組みと効果

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