

MotoGPを走り続けた中野真矢は、引退するまで大型二輪免許を持っていなかった。
中野真矢というライダーを語るとき、ゼッケン「56」は切り離せない存在です。しかし、この数字に込められた物語を正確に知っているライダーは、思いのほか多くありません。
56の由来はシンプルながら、とても熱い。少年時代の中野が夢中になった漫画「バリバリ伝説」(講談社・しげの秀一著)の主人公・巨摩郡(こま ぐん)が使用したゼッケンナンバーが「56」だったのです。バリバリ伝説は1983年から1991年まで週刊少年マガジンに連載されたバイクレース漫画で、主人公の巨摩郡が筑波サーキットから世界グランプリへと駆け上がる青春ストーリーです。この作品はリアルなレース描写と熱い展開で多くのライダーたちを生み出しました。
中野真矢もその一人でした。巨摩郡に憧れ、レースを始めた幼い頃からゼッケン「56」を使い続け、やがて世界最高峰のMotoGPにまでそのナンバーを持ち込みました。つまり56は、子供の頃の純粋な憧れがそのまま世界の舞台に刻まれた番号です。
現在のブランド名「56design(フィフティシックスデザイン)」も同じルーツを持ちます。ブランドは単なる商業名称ではなく、中野真矢が少年時代から抱き続けてきた夢の象徴が込められているということですね。
また、トレードマークである「目玉マーク」のヘルメットについても触れておく必要があります。この目玉デザインは名門「SP忠男レーシング」チーム出身の証として受け継がれたもの。中野真矢はSP忠男レーシングで全日本ロードレース選手権に参戦し、1998年にGP250クラスチャンピオンを獲得。この年の第3戦筑波サーキットでのコースレコード「0'57.430」は、なんと2008年まで10年間にわたって更新されることのなかった記録として残っています。
MotoGP学科 10限目「ゼッケンの話」|Honda公式 – 中野真矢ほか各選手のゼッケン由来が詳しく解説されています
1983年、5歳でポケットバイクを始めた中野真矢は、1987年に全日本ポケットバイク選手権で優勝。その後ミニバイクを経て全日本ロードレース選手権へと着実にステップアップし、1999年からロードレース世界選手権(WGP)に参戦を開始します。デビューレースとなった開幕戦マレーシアGPで早くも3位表彰台を獲得、第2戦日本GPでは初優勝を飾り、その年のルーキー・オブ・ザ・イヤーに選ばれました。
そして2000年シーズンが、中野真矢のキャリアにおける最大のドラマとなります。年間最多となる5勝を挙げ、最終戦オーストラリアGP(フィリップアイランド)でもトップを走行。最終ラップまでその順位を維持すれば、チャンピオン獲得という場面でした。しかし、チームメイトのフランス人ライダー・オリビエ・ジャックにゴール直前でかわされ、差はわずか0.014秒。
0.014秒とはどのくらいの差か、イメージしにくいかもしれません。時速200km前後で走行中なら、その差は約77センチ、つまりバイク1台分にも満たない距離です。中野真矢はフェアな戦いを最後まで貫き、マシンで相手を妨害することなくレースを終えました。結果、年間ランキングも2位。世界チャンピオンまで、あと一歩でした。
悔しいですね。しかし、この正々堂々とした戦いぶりこそが「王子」と呼ばれた中野真矢の本質でもあります。
その後2001年から最高峰MotoGPクラスへステップアップし、初年度から表彰台を獲得してルーキー・オブ・ザ・イヤーを2度受賞するという快挙を達成。ホンダ、ヤマハ、カワサキと渡り歩き、特に2004年にカワサキのファクトリーライダーとして移籍した際は業界を驚かせました。2006年のオランダGPでは、中野自身とカワサキにとってMotoGP最高位となる2位表彰台を獲得します。
注目すべき記録がもう一つあります。MotoGP初年度の2002年から2008年まで、欠場が1回もなかったライダーは、バレンティーノ・ロッシと中野真矢の2名だけです。これが基本です。あれほどの激しいレースを戦い続けながら、7年間皆勤を続けたことは、中野真矢の安定したライディングスタイルを物語っています。2009年はスーパーバイク世界選手権に転向し、同年10月に引退を発表しました。
| 年 | クラス/チーム | ランキング | 主なトピック |
|---|---|---|---|
| 1999年 | GP250 テック3ヤマハ | 4位 | デビュー戦表彰台、初優勝、ルーキー・オブ・ザ・イヤー |
| 2000年 | GP250 テック3ヤマハ | 2位 | 年間5勝(年間最多勝)、0.014秒差でチャンピオン逃す |
| 2001年 | GP500 テック3ヤマハ | 5位 | 表彰台獲得、ルーキー・オブ・ザ・イヤー |
| 2004年 | MotoGP カワサキ | 10位 | 電撃移籍、日本GP表彰台(カワサキ23年ぶり) |
| 2006年 | MotoGP カワサキ | 14位 | オランダGP2位(カワサキMotoGP最高位) |
| 2008年 | MotoGP グレシーニホンダ | 9位 | 全18戦中17戦でポイント獲得 |
| 2009年 | SBK アプリリア | - | 鎖骨骨折後、現役引退を発表 |
現役選手時代の2008年、中野真矢は地元・千葉県でモーターサイクルファッションブランド「56design(フィフティシックスデザイン)」を立ち上げました。引退前から動いていたというのが意外ですね。通常、プロスポーツ選手が引退後に別の事業を始めるケースが多い中、現役のまま並行して起業した点は注目に値します。
ブランドコンセプトは「Life with Motorcycles(バイクのある暮らし)」。これは単なるキャッチコピーではありません。ヨーロッパ、特にイタリアでの長い競技生活を通じて肌で感じた「バイクが生活文化に自然と溶け込んでいる社会」を、日本でも実現したいという強い意志の表れです。
ブランド立ち上げ当初、業界からの反発は相当なものでした。「MotoGPライダーがブランドを始めるなら当然レーシングスーツだろう」という先入観に反して、中野真矢が主力に据えたのはパーカーやプロテクター入りジーンズといったカジュアルなアパレルでした。これは反骨精神から生まれた選択でした。「バイクが日常に溶け込むためには、ライダーがバイクを降りた後でも着続けられるウェアが必要だ」という発想が根底にあります。
その先見性は正しかったです。現在では、バイクアパレル市場全体でカジュアルでスタイリッシュなデザインが主流となっており、56designはそのムーブメントの先駆けとして評価されています。
現在の56designは、オリジナルのライディングウェアに加え、イタリアブランドのSPIDI(スピーディ)、XPD(ブーツ)、rizoma(リゾマ・カスタムパーツ)なども取り扱っています。特にSPIDIとのコラボは、中野真矢自身が現役時代に実際に使用してきたというブランドで、信頼性に裏打ちされた提案です。クシタニとのコラボレーションも実現しており、ブランドの幅は着実に広がっています。
世界を駆けたMotoGPライダー中野真矢がプロデュース―56designの世界観|RIDERS CLUB – ブランドのコンセプトや取扱ブランドの詳細が読めます
バイク乗りがライディングウェアを選ぶとき、安全性・デザイン・価格のバランスをどこに置くかは人それぞれです。しかし、「街中でもそのまま着られるか」という視点を重視するなら、56designは有力な選択肢になります。
56designの製品に共通する特徴は、プロテクター内蔵のカジュアル設計です。たとえばジャケット類では、肩・肘に着脱式の樹脂プロテクターが標準装備され、背中プロテクター用のポケットも設けられています。見た目はアウトドアブランドのジャケットと変わらないのに、中身は本格的なライディングギアという構造です。これは使えそうです。
パンツのラインナップにはプロテクター内蔵のジーンズも含まれます。これは56designが最初期から提案してきたアイテムで、バイクから降りてそのままカフェやショッピングに行けるスタイルを実現します。ライダーが「着替え問題」から解放される、実用上のメリットは大きいです。
56designの製品ラインナップは幅広く、ジャケット・シャツ・パンツ・シューズ・キャップ・ウォレット・バッグ・ウォッチ・ヘルメットまでそろっています。「バイクのエッセンスを生活全体に取り込んでほしい」という中野真矢の想いが、製品の幅広さに現れています。
56designの公式サイトやMotorimodaといった正規取扱店のオンラインショップでラインナップが確認できます。実物を見たい場合は、千葉・東金市のLAKESIDE TERRACEにある56designショールームや、全国の取扱店舗を利用するのが確実です。
56design公式サイト – 最新ラインナップや直営ショールーム情報はこちらで確認できます
引退後の中野真矢が力を注いでいるもう一つの活動が、若手ライダー育成プロジェクト「56RACING」です。56designというブランドが「バイクライフの文化を広める」活動だとすれば、56RACINGは「日本からバイクレースの未来を育てる」活動と位置づけることができます。
56RACINGは活動開始から13年以上が経過し(2026年現在)、現在は「SDG Jr.56RACING」という体制で全日本ロードレース選手権J-GP3クラスへの参戦を続けています。SDGというのはサポートスポンサーの企業名に由来し、官民連携で若手育成を強化している体制です。2026年シーズンも、富樫虎太郎選手・木村隆之介選手の2名を擁してJ-GP3クラスと関東ロードミニ選手権SP-EXPクラスに参戦しています。
若手育成への熱意は深い理由に裏打ちされています。中野真矢自身が「バリバリ伝説」という漫画から夢をもらい、実際に世界最高峰まで登りつめた経験を持っています。その恩返しとして、今度は自分が若いライダーたちに「世界へ向かう夢」を与える役割を担っているのです。
56RACINGのライダーたちに、中野真矢はマシンを貸与するだけでなく、ライディングのノウハウや世界で戦うためのマインドセットも伝えています。MotoGPで2クラスにわたってルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞した経験は、若手にとってこれ以上ない指針です。若手育成が条件です。
現役ライダーとして中野真矢を応援してきたバイクファンにとって、56RACINGの試合結果は今も目が離せません。特にJ-GP3クラスはMotoGP世界選手権への登竜門となる全日本シリーズで、将来の中野真矢のような世界的ライダーがここから生まれる可能性があります。
56RACINGのレース結果や活動報告は56designの公式サイトやSNS(X・Instagram)で確認できます。全日本ロードレース選手権の観戦時に56RACINGのゼッケンを見つけたら、中野真矢がつないできたバイクレースの系譜を感じながら観戦してみてください。
56RACING公式ページ(56design内)– チーム体制や理念、最新情報が掲載されています
ここでもう一度、冒頭で触れた事実に立ち返ります。世界最高峰MotoGPで1000cc超のマシンを操り続けた中野真矢が、現役中は大型自動二輪免許を持っていなかった。これは公式記録(Wikipedia)にも明記されている事実です。
なぜそんなことが起きるのか。プロのレース活動は「競技」として行われるため、公道走行免許の有無とは別の話になります。クローズドコース(サーキット)でのレースには、公道での免許は必要ありません。中野真矢の場合、5歳からポケバイを始めてそのままサーキットでのレース活動を継続してきたため、公道バイク免許の必要性がなかったのです。
問題は公道でのプロモーション活動でした。チームのPR活動やメディア撮影で公道を走る場面が求められたとき、中野真矢は大型バイクにまたがるだけで走れなかったという。撮影のためにバイクにまたがって静止する、という形でしのいでいたエピソードが伝えられています。
大型自動二輪免許を取得したのは、2008年のシーズンオフ。翌2009年に引退を発表する直前のことです。引退後に今までにお世話になったバイク業界へ恩返しをしたいという動機で、正式に免許を取得したと中野自身が語っています。
これはバイク乗りにとって非常に示唆的な事実です。プロレーサーとして世界を舞台に戦う技術と、公道を安全に走るための資格・知識は、別の話です。逆に言えば、大型自動二輪免許を取得し、交通法規を守って公道を走ることは、バイクを「生活文化」の一部として正しく扱う姿勢でもあります。中野真矢が56designで「Life with Motorcycles」を掲げた背景には、プロライダーとしてではなく「公道を走る一人のライダー」として改めてバイクと向き合い直した経験があるのかもしれません。
公道を走るバイク乗りとして、免許の種別や交通法規の遵守は改めて意識しておきたいところです。大型二輪への乗り換えや免許の上位取得を検討している場合は、各都道府県の指定自動車教習所や、免許センターでの取得方法を確認することをお勧めします。
元MotoGPライダー中野真矢氏インタビュー「これからバイクに乗る人へ」|JAMA公式 – 免許取得の経緯と公道ライダーとしての考え方が語られています

RIDERS CLUB (ライダースクラブ)2022年6月号 No.578(SUZUKI KATANA 水冷カタナ新章)[雑誌]